カテゴリー: 実食・実用

  • 陸軍の焚き火のやり方(空挺・陸軍含む) ― 実態は焚き火より小さな加熱手段

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    ※「焚き火の組み方」を直接解説した当時の公式マニュアルは見つけられなかったが、代わりに実際どうやって前線で暖や火を確保していたかを整理する記事です。誤りがあればご指摘ください。

    結論から言うと、前線で盛大な焚き火を組むという発想自体が、そもそも現実的ではなかった可能性が高い。夜間の炎や煙は、敵に自分の位置を教えるようなものだ。実際に記録が多く見つかるのは、焚き火よりも小型で目立たない加熱手段だった。


    ① トライオキサン燃料タブレット:メスキットの下に置く固形燃料

    C-レーションを温める際に広く使われていたのが、トライオキサン(Trioxane)という固形燃料のタブレット。使い方はシンプルで、メスキットの下に置いて着火するだけ。液体燃料や複雑な器具が要らず、携行性に優れていたため重宝された。大戦後期にはヘキサミン燃料タブレットも同梱されるアクセサリーパックが登場している。

    考証メモ:現行のMREに付属するフレームレスレーションヒーター(FRH)は、このトライオキサン式の直系の後継にあたる。「炎を使わずに温める」という発想自体は現代のFRHの方が新しいが、「携行できる固形の加熱手段」という考え方はWWII当時から一貫している。


    ② 即席の缶ストーブ:ディーゼル燃料を使った工夫

    燃料タブレットが手元に無いときの工夫として、空き缶にディーゼル燃料を入れて燃やし、簡易ストーブとして使っていたという記録もある。缶を開けた際、蓋を完全には切り離さずに残しておき、それを持ち手代わりに使って、指を火傷せずに済ませるという細かい工夫もあったようだ。


    ③ なぜ「焚き火」という発想自体が前線には合わないのか

    すでにパップテントの記事でも触れた通り、前線では夜間、目立つ行動そのものがリスクになる。大きな炎を上げる焚き火は、敵の狙撃・砲撃の的になりかねない。だからこそ、実際に記録として残っているのは、メスキットの下に置ける程度の、小さく目立たない加熱手段ばかりだ。「焚き火を囲んで暖を取る」という牧歌的なイメージは、前線から離れた後方エリアでの話と考えた方が実態に近い。


    買い方・調達ガイド

    着火用マッチはコチラ:


    関連記事


    出典


  • P-38缶切りについて ― わずか1.5インチの、ドッグタグに下げる小道具

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    ※WWII米軍の缶切り「P-38」についての記事です。誤りがあればご指摘ください。

    ドッグタグのチェーンに一緒に下げられていた小さな金属片――P-38缶切りは、WWII米軍装備の中でも特に象徴的な小道具のひとつだ。


    ① なぜ専用の缶切りが必要だったのか

    もともとK-レーションには「キー式」の開封機構(缶に付いた鍵状の金具を巻き取って開ける方式)が採用されていたが、兵士たちには不評だった。この不満を受けて、兵站部(Quartermaster Corps)が代替案を模索することになる。


    ② 開発経緯:安く・早く・小さく

    1942年、シカゴのSubsistence Research Laboratory(食糧研究所)が缶切り開発を担当することになった。目標は「製造コストが安く、通常の缶切りより早く使えて、なおかつ小さく携行しやすい」道具を作ること。

    これが実を結び、1943年、「Hospital Five-in-One」というレーションの一部として初めて支給された。その後1944年6月、Gレーションの標準支給品として定着している。


    ③ 設計:わずか1.5インチの金属片

    全長は約1.5インチ(約3.8cm)という小ささ。短い金属ブレードが取っ手を兼ね、そこに小さな刃が折りたたみ式で収納されている。刃の付け根にある切り欠きが缶のフチに引っかかる仕組みで、缶の縁に沿って「歩かせる」ように動かしながら切り進めていく


    ④ 携行方法:ドッグタグのチェーンに通す

    取っ手部分に開いた何気ない穴が、実は重要な機能を持っている。この穴にキーリングやドッグタグのチェーンを通して、首からぶら下げて携行するのが定番のスタイルだった。WWII・朝鮮戦争・ベトナム戦争と、長きにわたって兵士のドッグタグチェーンを飾り続けた小道具だ。


    ⑤ 名前の由来:実ははっきりしていない

    「P-38」という名前は、「C-レーション缶のフチを開けるのに38回切り込みが必要だったから」という説が広く知られている。ただし、この名前の正確な由来は、実は今もはっきりしていないとされる。軍隊内の俗称・スラングは、部隊ごとに独自の呼び名が生まれることが多く、由来を一つに断定しづらいケースが多い。


    ⑥ 大戦中の個体を見分けられるか:正直、決定打は無い

    メーカー刻印から、ある程度の手がかりは得られる。「U.S.」の刻印+メーカー名が入っており、初期の契約メーカーはJ.W. Speaker社(刻印”US Speaker”)、Washburn社(刻印”US Androck”)など。のちにMallin Shelby社(“US Mallin Shelby O.”または”U.S. Shelby Co.”)も製造を担った。中には“U.S. / KAY 1962″のように西暦入りの刻印を持つ個体も存在する。

    ただし、これはあくまで補助情報に過ぎない。コレクターの間では「P-38をWWII物と確実に判定する方法は無い」というのがほぼ共通認識になっている。理由は単純で、P-38は非常に多くのメーカーによって、何十年にもわたり、ほぼ同じ軍規格(熱処理炭素鋼+スズメッキ)のまま作られ続けたため。朝鮮戦争・ベトナム戦争期の個体も、外見・材質だけではWWII物と区別がつきにくい。

    年式入りの刻印がある個体は別として、「年代不明として扱うのが誠実」というのが正直なところだ。


    関連記事


    買い方・調達ガイド


    出典

  • 当時の炊き出しメニュー ― 野戦炊事と、感謝祭の七面鳥ディナー

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    ※すでにK-レーション・FRHなど個人携行食の記事を書いてきたが、今回は「後方で調理して届けられる温かい食事」――野戦炊事(フィールドキッチン)の話。誤りがあればご指摘ください。

    K-レーションやC-レーションは、あくまで個人が携行する非常食に近い。だが実際には、状況が許せば後方で調理した温かい食事を、前線近くまで届ける仕組みも存在していた。いわゆる野戦炊事、炊き出しだ。


    ① 野戦炊事の仕組み

    調理にはM1937フィールドレンジという、液体燃料で動く可搬式のコンロが使われた。揚げる・焼く・煮込む、さらにはパイまで焼けるほど汎用性が高かったとされる。

    1つの炊事班で150〜180人分の食事をまかなえる規模感で、中隊〜大隊単位で運用された。前線から一定の距離を置いた後方に設置され、調理した食事はジープ・トラック、時にはラバなどを使って前線近くまで運ばれた。「忌み嫌われるC-レーションと、飢えとの間にあるもの」という表現が使われるほど、前線の兵士にとって野戦炊事の温かい食事は貴重な存在だった。


    ② 普段のメニュー例

    1日最低2回の温かい食事の提供が目標とされ、実際のメニューにはこういったものが挙がる。

    • ハム・卵・ポテト
    • 肉と豆の煮込み
    • チキンと野菜
    • ビスケット・シリアル・コーヒー・角砂糖・コーティングピーナッツ
    • ポーク・アンド・ビーンズ
    • ミート・スパゲッティ
    • ハムとライマ豆

    缶詰の肉・野菜を中心に、質より量・カロリー重視の献立が多い。


    ③ 特別な日のメニュー:感謝祭・クリスマスの七面鳥

    士気維持のため、感謝祭やクリスマスには特別なディナーが用意されることがあった。1943年には、七面鳥・付け合わせ・クランベリーソース・各種パイなどを満載した輸送船2隻分の感謝祭物資が、ヨーロッパ・太平洋の両戦域に向けて送られている。

    献立の例:

    • 七面鳥のロースト+スタッフィング
    • ジブレット・グレービー
    • クランベリーソース
    • キャンディード・スイートポテト
    • グリーンビーンズ、アスパラガス
    • フルーツサラダ、セロリ、ピクルス、オリーブ
    • ロールパン、バター
    • ミンスミートパイ、キャンディ、ナッツ、コーヒー

    調理は後方の移動式炊事班が担当し、ジープ・トラック・ラバなどで前線まで運ばれた。


    ④ 現実とのギャップ:全員が食卓につけたわけではない

    ここが考証上大事な点だ。感謝祭・クリスマスであっても、全員がきちんとした食卓で温かい七面鳥を食べられたわけではない。後方の宿営地なら食堂でしっかり食事にありつけた一方、実際に戦闘が続いている前線では、結局C-レーションの缶詰を塹壕や戦車の中で食べるだけだった、というケースも多かった。「特別な日のメニュー」を再現するとしても、それが後方の恵まれた状況を再現しているのか、前線でありつけなかった側を再現しているのかで、話がまったく変わってくる。


    ⑤ 空挺兵との関係

    降下直後の空挺兵は、当然ながら野戦炊事にアクセスできない。だからこそK-レーションのような個人携行食が必要だった。野戦炊事の温かい食事にありつけるのは、本隊と合流した後、あるいは戦線が落ち着いて後方に下がった休養期間に限られる、という位置づけで理解しておくのが良さそうだ。


    関連記事


    出典

  • 兵士のほとんどがタバコを吸っていた? ― 実は約半分、そして通貨になった話

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    ※「WWII兵士はほとんどタバコを吸っていた」というイメージは、実は正確ではないという話です。誤りがあればご指摘ください。

    WWII米軍装備を扱っていると、タバコはほぼ標準装備のような扱いで語られる。でも実際のところ、「ほとんど全員が喫煙者だった」というのは思い込みに近い


    ① 実際の喫煙率:だいたい半分

    戦時中に行われたある調査によれば、兵士の喫煙率は50.1%。つまり、「ほとんど」ではなく、だいたい半々というのが実態に近い。「配給にタバコが付いてくる=みんな吸っていた」というイメージが先行しがちだが、実際には非喫煙者もかなりの割合でいたことになる。


    ② なぜ「みんな吸っていた」ように見えるのか

    理由は単純で、K-レーション・C-レーションのタバコは、喫煙者・非喫煙者を問わず全員に同梱されていたから。陸軍は戦争を通じて約3500億本ものタバコを、配給・PX販売・慰問品として配布していたとされる。数字だけ見ると「みんな吸っていた」ように錯覚するが、実際は配給の受け取り方と、実際に吸うかどうかは別問題だった。


    ③ 非喫煙者はどうしていたか:直接物々交換

    ここが面白いところだ。非喫煙者は、配給されたタバコを喫煙者の仲間に渡して、代わりにチョコレート配給などをもらう、というシンプルな物々交換を行っていた。非喫煙者側も、「仲間がタバコを欲しがっている」と分かっているからこそ、この交換に応じるメリットがあった。


    ④ タバコが”通貨”になった話

    この物々交換の仕組みは、捕虜収容所(POWキャンプ)では驚くほど洗練された経済システムにまで発展した。単純な物々交換から始まり、最終的にはあらゆる物資の価格が「タバコ何本分」という単位で表示されるほどになり、収容所内には在庫・価格を管理する掲示板まで存在していたという。

    この現象は戦後のドイツでも再現されている。荒廃した経済と激しいインフレの中、ドイツ市民はタバコを事実上の通貨として使うようになり、結果としてアメリカ兵たちが(タバコを大量に持っていたことで)思いがけず”裕福”になった、というエピソードも残っている。

    豆知識:米軍がC-レーションへのタバコ同梱を正式に廃止したのは、実は1975年――WWIIからかなり後になってからのことだった。


    まとめ

    「兵士のほとんどがタバコを吸っていた」というのは正確ではなく、実際は約半分。ただしタバコは喫煙の有無を超えて、兵士同士の物々交換、さらには事実上の通貨として、戦場でも捕虜収容所でも独自の価値を持っていた、というのが実態のようだ。


    関連記事


    出典

  • 野戦炊事メニューを日本の食材で再現するレシピ

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    野戦炊事の記事で紹介したメニューを、日本で手に入る食材で簡単に再現するレシピ集です。誤りがあればご指摘ください。

    当時の陸軍にはTM 10-412という、大量調理向けの公式レシピマニュアルが実在していた。これを完全再現するのは業務用の分量なので現実的ではないが、考え方はシンプルなので、日本の家庭でも十分作れる。


    ① ポーク・アンド・ビーンズ

    当時のレシピでは、ネイビービーンズ(白インゲン豆系)をトマトソースで煮込み、脂の乗った豚肉の塊を加えるという構成。缶詰にしても崩れにくく、野戦食に向いていた。

    日本での再現:

    • 白いんげん豆(水煮缶)または大豆(水煮缶)
    • 豚バラ肉(角切り)
    • トマト缶(またはケチャップ)、砂糖、塩、こしょう

    豚バラを軽く炒めて脂を出し、水煮豆とトマト缶を加えて、砂糖・塩で甘辛く味を調えながら煮込むだけ。豆の缶詰を使えば、家庭でも十分近い味が出せる。


    ② ミート・アンド・スパゲッティ

    これは日本の家庭料理とほぼ地続きの料理だ。

    日本での再現:

    • スパゲッティ
    • 合いびき肉
    • トマト缶、玉ねぎ、にんにく(あれば)

    ひき肉を炒め、トマト缶と玉ねぎを加えて煮込んだミートソースを、茹でたスパゲッティに絡めるだけ。ほぼ日本の「ミートソーススパゲッティ」そのものなので、再現の難易度は一番低い。


    ③ ハムとライマ豆

    本来使うライマ豆(バタービーンズ)は日本のスーパーでは入手しづらいので、代用品を使うのが現実的だ。

    日本での再現:

    • そら豆、または大粒の白いんげん豆で代用
    • ハム(角切り)
    • コンソメ(顆粒)、バター、塩こしょう

    豆を茹でて(缶詰なら不要)、角切りハムと一緒にコンソメスープで軽く煮る。バターを少量加えるとコクが出る。


    買い方・調達ガイド

    ①③で使う白いんげん豆の水煮缶

    ①②で使うトマト缶:

    ③のライマ豆代用(そら豆水煮):


    ④ 考証メモ:完全再現より雰囲気重視で

    当時のTM 10-412は大量調理(数百人分)前提のマニュアルで、分量も業務用スケールになっている。家庭で再現する場合は、正確な分量よりも「構成要素(豆・肉・トマトソースの組み合わせ)」を再現する方向で考えるのが現実的だ。


    関連記事

    • 当時の炊き出しメニュー(野戦炊事) ―― 既存記事

    出典

  • 葉巻・パイプは支給品だったのか ― タバコとの違いは「物量」と「個性」

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    タバコの銘柄記事の続編として、葉巻・パイプについて調べた内容をまとめます。誤りがあればご指摘ください。

    結論から言うと、一般の空挺兵・一般兵士が組織的に葉巻やパイプを支給されていた記録はほとんど見当たらない。タバコ(紙巻き)が圧倒的多数派で、葉巻・パイプは一部の有名指揮官の個人的なトレードマークとして語られることがほとんどだった。


    ① タバコの物量:桁が違う

    以前の記事でも触れた通り、K-レーション・C-レーションへの同梱を中心に、陸軍は戦争中約3500億本のタバコを配給・PX販売・慰問品として兵士に届けていた。ある調査では、兵士の50.1%が喫煙者だったというデータもある。これが当時の兵士の喫煙のメインストリームだ。


    ② 葉巻:一部の指揮官のキャラクター付け

    葉巻については、組織的な配給の記録は見当たらない一方、特定の有名指揮官の個人的なトレードマークとして語られる例がいくつかある。

    • カーチス・ルメイ将軍 ―― 1944年以降、葉巻がほぼ常にトレードマークになっていた
    • 海兵隊のエースパイロット、ジョー・フォス ―― 出撃時に(火をつけないことも多い)葉巻をくわえていた

    いずれも「支給された葉巻」というより、個人のキャラクターやゲン担ぎに近いニュアンスで語られている。


    ③ パイプ:マッカーサーのコーンコブパイプ

    もう一つの嗜好品がパイプだ。こちらもやはりダグラス・マッカーサー将軍個人のトレードマークとして有名で、一般兵士の習慣ではない。

    マッカーサーが愛用したのは、ミズーリ州のMissouri Meerschaum社製のコーンコブ(トウモロコシの芯)パイプ。既製品ではなく、マッカーサー本人が設計案を個人秘書経由で会社に送り、長いシャンク(軸)と吸い口を、ほぼ丸ごと1本分のトウモロコシの芯でできたボウルに組み合わせる、独特の細長いシルエットを作り上げた。ウィールハット(戦闘帽)とアビエーターサングラスと並んで、マッカーサーの三種の神器の一つとされる。

    面白い習慣として、新しいパイプを受け取るたびに、シャンクの周りに焼き印でリングを入れるというこだわりがあったとされる。パイプは定期的に会社から届けられ、複数本をローテーションして使っていた。1951年、トルーマン大統領によってマッカーサーが解任された際には、同情した市民からMissouri Meerschaum社に大量の注文が殺到したという逸話もある。このパイプは後に「MacArthur」モデルとして商品化され、現在も購入できる。


    まとめ:一般兵士=タバコ、指揮官=個性の主張

    整理すると、タバコは全員に行き渡る配給品、葉巻・パイプは一部の有名指揮官が意識的に「自分らしさ」を演出する小道具という構図になる。空挺兵の装備・小物を再現するなら、タバコが基本線で、葉巻やパイプは特定の人物を演じる場合の特殊なアイテム、という位置づけで考えるのが実態に近そうだ。


    関連記事

    • 空挺兵が吸っていたタバコの銘柄 ―― 既存記事

    買い方・調達ガイド

    葉巻は通販での取り扱いが限られるため、興味があれば近所のたばこ取扱店(葉巻を扱う喫煙具店・たばこ専門店)で実際に手に取って選んでみてほしい。店員に相談しながら選べるのも実店舗ならではの利点だ。

    ライター(Zippo 1941 Replica):

    ③で触れたマッカーサー・パイプ(コーンコブ):


    出典

  • レーションになぜタバコが付属しなくなったのか ― 1975年、支給廃止の理由

    レーションになぜタバコが付属しなくなったのか ― 1975年、支給廃止の理由

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    誤りがあればご指摘ください。

    K-レーションにもC-レーションにも、当たり前のようにタバコが入っていた。ところが現代のMRE(Meal, Ready-to-Eat)にタバコは入っていない。いつ、なぜ消えたのかを整理する。


    ① そもそもなぜ支給品に入っていたのか

    アメリカ軍とタバコの結びつきは第一次世界大戦(1917年参戦)まで遡る。タバコ会社が前線の兵士に無償でタバコを配り始めたのがきっかけで、遠征軍司令官ジョン・パーシング将軍は「この戦争に勝つために何が必要かと聞かれれば、弾薬と同じくらいタバコだと答える。タバコは日々の糧食と同じくらい欠かせない」とまで述べている。この頃には、タバコは前線で通貨代わりに使われるほど生活に浸透していた。

    第二次世界大戦でもこの構図は変わらず、タバコ会社は無償供給と支給品への採用を後押しし続けた。K-レーションには1食あたり4本入りの小袋(1日あたり計12本)、C-レーションには1食あたり9本が同梱されていたことは、当ブログのタバコ銘柄記事でも触れている。


    ② 健康被害の証拠が出ても、しばらく変わらなかった

    1950年代には喫煙の健康被害を示すデータがすでに増え始めていたが、軍は特に対応を変えることなく支給を継続した。転機になったのは1964年1月11日、アメリカ公衆衛生局長官(Surgeon General)ルーサー・テリー博士が発表した報告書。喫煙が肺がん・喉頭がんの原因であることを、政府として初めて公式に認めた文書だった。

    とはいえ、この報告書が出てからもすぐに支給が止まったわけではない。実際に糧食からタバコが外れるまでには、さらに10年以上かかっている。


    ③ 廃止は1975年 ― ただし当時の正式名称は「C-レーション」ではない

    国防総省がK-レーション・C-レーションからタバコを外したのは1975年。理由として、喫煙の健康リスクに関する科学的データと、部隊の即応性(readiness)への悪影響が挙げられている。

    【要確認】廃止年について「1972年」とする資料も一部見られるが、複数の軍事史ソースが1975年説を採っており、本記事では1975年を採用した。

    ここで一点、考証上おさえておきたい事実がある。「C-レーション」という正式名称自体は1958年に廃止されており、以後は「Meal, Combat, Individual(MCI)」という名称に変わっていた。つまり1975年にタバコが外された時点の正式な糧食名は「C-レーション」ではなく「MCI」。ただし中身も見た目もC-レーションとほぼ同じだったため、兵士たちは変わらず俗称として「C-ration」「チャーリー・ラッツ」と呼び続けていた。当ブログの他記事で「C-レーション」と表記している場合も、この俗称としての用法を踏襲している。

    MCIの付属品パックに入っていた銘柄は、キャメル、チェスターフィールド、ケント、クール、ラッキーストライク、マールボロ、パルモール、セーラム、ウィンストンなど。WWII期のK/C-レーションから続く「ローテーションで色々な銘柄が入る」方式は、この時代まで変わらず続いていたことになる。


    ④ MRE移行より先に、タバコの方が先に消えていた

    糧食そのものがMCIからMRE(Meal, Ready-to-Eat)に切り替わったのは1980〜81年。つまり「MREになったからタバコが消えた」わけではなく、糧食の世代交代より5〜6年早く、タバコだけが先に支給品リストから外れていたことになる。当ブログのMRE分解記事で扱っているフレームレスレーションヒーター(FRH)のような加熱機構は、タバコが消えた後の世代の話ということになる。


    ⑤ その後の流れ:軍全体での禁煙政策へ

    レーションからの廃止は、その後長く続く軍の禁煙政策の出発点になった。

    • 1978年:基地内に喫煙・禁煙エリアを区分する基本規則を導入
    • 1985年:国防総省の調査で軍人の喫煙率47%(当時の一般市民は30%)、喫煙関連の医療費が年間2億ドル超と判明
    • 1986年:国防長官キャスパー・ワインバーガーによる指令1010.10。新兵訓練期間中の喫煙禁止など、本格的な禁煙キャンペーンを開始
    • 1994年:指令1010.15で屋内職場での喫煙を禁止、屋外指定エリア制へ
    • 1997年:大統領令13058によって連邦施設内の喫煙が原則禁止に(国防総省は3年の猶予を経て2002年12月7日に完全施行)

    1975年の糧食からの除外は、単発の措置ではなく、その後20年以上続く一連の禁煙政策の最初の一手だった、という位置づけで見るとわかりやすい。


    出典


    関連記事

  • 火を使わずに飯を温める――MREのフレームレスレーションヒーター(FRH)を分解する

    火を使わずに飯を温める――MREのフレームレスレーションヒーター(FRH)を分解する

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    野営地で、火を焚かずに、湯も沸かさずに、温かい飯が出てくる。

    現代の米軍レーション「MRE(Meal, Ready-to-Eat)」に同梱されているフレームレスレーションヒーター(FRH: Flameless Ration Heater)は、主食をたった30mLの水で温められる装備だ。袋に水を注いで放置するだけで、10分ちょっとで主菜が湯気を立てはじめる。(放出品で手に入るものは期限が過ぎていてほとんど使えないことが多いため、あくまで参考程度にしてほしい)

    このサイトはふだんWWIIの空挺装備を扱っているので、現用のMREは守備範囲の外に見えるかもしれない。だが、この小さなパッドの中身を追いかけていくと、海軍のダイビングベストにまで話が遡る。装備史としてかなり面白い部類に入る。

    今回は現物を入手したので、開発史・化学的な仕組み・公称スペック・実測値・取り扱い上の危険性まで、順に分解していく。


    ① 開発史:発熱パッドは「潜水服」から来た

    米陸軍が火を使わない加熱方式の研究に着手したのは1973年のことだ。当初は水で活性化するマグネシウム-炭素系の加熱製品が検討されていた。

    転機は1980年。マサチューセッツ州ネイティックの陸軍研究施設が、海軍が浮力装置および加熱ダイビングベット用にマグネシウム-鉄合金粉末を開発していたことを知る。こちらのほうがコスト効率で有利だったため、シンシナティ大学に委託してMRE用ヒーターの試作品を開発させた。これがDRHD(Dismounted Ration Heating Device)である。

    開発に関わった技術者たちはその後Zesto-Therm社として法人化し、この加熱製品を特許化。民生用にも販売を開始している。

    制式採用の流れはこうだ。

    出来事
    1973 米陸軍、火を使わない加熱方式の研究を開始
    1980 海軍のマグネシウム-鉄合金技術を転用する方針に転換
    1990年5月 FRHの支給開始
    1993 全MREにFRHが同梱されるようになる

    つまり、湾岸戦争の時点ではまだ「全員に配られる装備」ではなかったというのが押さえどころだ。映画やドキュメンタリーで年代を特定する際の材料にもなる。

    考証メモ
    WWIIの携行糧食(K-ration、C-ration)には加熱手段が同梱されていない。C-rationを温めるには、単純にトリオキサン燃料タブレットや現地調達の火が必要だった。「火を焚かずに温かい飯が食える」という状態が兵士の標準装備になったのは、実は1990年代に入ってからということになる。

    参考: Flameless ration heater – Wikipedia


    ② 仕組み:無数の「短絡した電池」が発熱している

    中身の組成

    FRHの発熱パッドは、以下の混合物で構成されている。

    • マグネシウム-5原子%鉄合金(超腐食性合金 / supercorroding alloy)
    • 塩化ナトリウム(食塩)
    • 二酸化ケイ素
    • トリポリリン酸ナトリウム

    これらがポリエチレン系の多孔質マトリクスに分散され、柔軟なパッド状に成形されている。

    反応の流れ

    水を注ぐと、パッドの中では次のようなことが起きる。

    1. パッドに入っている食塩が水に溶ける
    2. 食塩水になったことで、マグネシウムと鉄がまるで小さな電池のような状態になる
    3. その「電池状態」の中で、マグネシウムがどんどん水と反応して溶けていく
    4. マグネシウムが溶けるときに、水素の泡と一緒に熱が出る

    つまり、マグネシウムが水に溶けていくときに出る熱を、そのまま食事の加熱に使っている――これがFRHの仕組みだ。

    なぜ鉄が入っているのか

    ここがこのデバイスの肝だ。

    マグネシウムだけを水に入れても、実は反応が遅すぎて使い物にならない。そこで鉄の粒と食塩を混ぜることで、反応のスピードを一気に上げている。

    イメージとしては、パッドの中に無数の小さな電池ができていて、そのすべてがショートしている状態に近い。マグネシウムと鉄は組み合わせるとプラス極・マイナス極になりやすい金属どうしで、これが食塩水の中で触れ合うことで、マグネシウムがものすごい速さで溶かされていく。「超腐食性合金」という物騒な名前は、この「あっという間にサビて(腐食して)いく」性質を指している。

    要するにFRHは、金属をわざと、コントロールしながら急速にサビさせて、そのときに出る熱を利用する装置である。

    YOUTUBEを見ていると付属している食塩をぶち込んでいる様子も確認できる、探してみてほしい。

    参考: US5611329A – Flameless heater and method of making same


    ③ 公称スペック:何度まで、何分で上がるのか

    軍の資料と特許記載値を整理すると以下のようになる。

    加熱目標温度 100°F(約38℃)/ 12分
    特許記載の実験値 合金7.5g + 食塩0.5g + 水30mLで、230gの食事を約10分で56℃上昇
    放出熱量 約50kJ
    出力 約80W
    パッド重量 約1.5オンス(約42g)
    保存期限 約5年
    NSN 8970-01-321-9153
    該当軍規格 MIL-R-44398B

    80Wという数字は感覚的に掴みにくいが、要するに小型のはんだごて程度の出力を10分間出し続けている計算になる。あの薄いパッドがそれをやっていると考えると、なかなかの密度だ。

    なお「100°F(約38℃)」という目標値は、日本人の感覚からするとぬるい。人肌よりわずかに温かい程度である。これはあくまで軍の最低保証仕様であり、実際には注水量や外気温の条件が揃えばもっと上がる。

    参考: U.S. Army Public Health Center – Water Ration Heaters (PDF)


    ④ 取り扱いと危険性:ここだけは読んでほしい

    FRHは「火を使わない」ため安全そうに見えるが、扱い方を間違えると火災・爆発のリスクがある。以下は野外運用する上での必須知識だ。

    水素ガスが発生する

    反応で水素ガスが発生するため、屋外もしくは十分に換気された場所での使用が前提となっている。

    これは実際に重要で、テント内や車内などの密閉空間で使用してはいけない。加熱作業だけ外で行い、温まったパウチを持ち込む――という運用にすべきだ。実食動画を撮る際も、この点は必ず守っている。

    保管中に濡らさない

    保管中に発熱パッドが濡れると、水素を放出しながら反応が進み、火災または爆発の危険につながる。マグネシウムは一度着火すると極めて高温で燃焼するため、これは軽視できない。

    また、湿った空気に触れただけでもパッド表面に不溶性の水酸化マグネシウムの薄い被膜が形成され、その後の化学反応が阻害される。要するに、いざ使おうとしたときに温まらない個体になる。パッケージの破損・ピンホールには注意が必要だ。

    輸送に制限がかかる

    危険物として分類されるため、輸送方法にも制限がある。米国内では特定の航空便や優先郵便での発送が不可とされている。個人輸入を検討する場合、FRH同梱のMREは輸送区分の問題で通常より手間がかかることは織り込んでおいたほうがいい。


    まとめ:40年かけて完成した「火のない焚き火」

    FRHを整理すると、こういう装備だ。

    • 出自は海軍の潜水用加熱装置向けマグネシウム-鉄合金
    • 原理はマグネシウムをわざと急速にサビさせる反応であり、実質的には無数の小さな電池
    • 性能は12分で約38℃という控えめな保証値。ただし条件次第でそれ以上
    • リスクは水素ガス。密閉空間では使わない

    1973年の研究着手から1993年の全面同梱まで、実に20年。そこからさらに30年以上、基本原理を変えずに使われ続けている。兵站装備としては相当に完成度の高い設計だと言っていい。

    WWII期の兵士がC-rationの缶を炎で炙っていたことを思えば、この薄いパッド一枚が持つ意味は小さくない。


    買い方・調達ガイド

    【注意】これらは当時のWWII期の複製品ではなく、現用アメリカ軍の戦闘糧食(MRE)です。実際に食べる場合は、保存状態・賞味期限も含めてあくまで自己責任でお願いします。

    検品日を過ぎているものは、FRH(フレームレスレーションヒーター)が高確率で正常に発熱しない。キャンプなどで実際に食す場合は、バーナー等で湯煎して温める方が無難だ。そのほうがしっかり温まる分、味も安定して美味しく感じられる……かもしれない。

    12食入りケース:

    単品(コレクション用):


    関連記事(予定)

  • 空挺兵は前線で何を食べていたか ― K-レーションは、実は空挺兵のために生まれた

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    ※このサイトではすでにMREのFRH分解記事を書いているが、この記事はもっと遡って「そもそも空挺兵は前線で何を食べていたか」を整理する回です。誤りがあればご指摘ください。

    空挺兵は物資を自分の身体だけで担いで降下する。トラックも補給部隊もすぐには追いついてこない前提の兵科だ。だからこそ、携行食の設計思想は歩兵とは少し違う軸で発展した。『バンド・オブ・ブラザース』でイージー中隊の面々が塹壕でK-レーションを頬張るシーンは印象的だが、あの携行食が実際どう設計されたのかを紐解いていく。


    ① K-レーションは、もともと空挺兵のために試作された

    K-レーションを設計したのは、ミネソタ大学の生理学者アンセル・キーズ(Ancel Keys)。1941年、陸軍から「ポケットに入るサイズの、腐らない携行食」の開発を依頼されたのが始まりだった。

    最初の試作(乾パン・ドライソーセージ・チョコレートバー・堅いキャンディーをスーパーで買い集めたもの)は、フォート・スネリングの部隊でテストされたが評判は今ひとつ。次に、陸軍の空挺学校があるフォート・ベニングで、ガム・タバコ・マッチ・トイレットペーパーなどの”快適アイテム”を追加した改良版が空挺兵にテストされ、ここで高評価を得た。これを受けて陸軍が正式採用を決め、1942年5月に最初の大量発注(リグレー社へ100万食)が行われている。

    【要確認】「K」の由来は、キーズ(Keys)の頭文字にちなむという通説がある一方、他のレーション名(C, Dなど)と発音で混同しないための選定だった、という説もある。断定を避けて両論併記で書く。


    ② K-レーションの中身:3つの食事

    K-レーションは1日3食分、朝食(Breakfast)・昼食(Dinner)・夕食(Supper)の3種類の箱に分かれていた。缶詰の主菜(肉やレバーペーストなど)に、乾パン・チョコレートバー・粉末飲料・ガムなどが同梱される構成。1食が蝋引きの箱に収まり、ポケットや装備に差し込める携行性がウリだった。

    【要確認:実物レプリカを入手したら追記】3種類それぞれの具体的な中身の違い、パッケージデザインの時代変化は、実際に現物を見てから別記事(K-レーション考証編)で詳しく書く。


    ③ D-レーション(非常用チョコレートバー)との役割分担

    K-レーションとは別に、D-レーションと呼ばれる非常用の高カロリーチョコレートバーも携行されていた。こちらはわざと美味しくない配合(溶けにくく、食欲をそそらない味)にされていたとされる。理由は単純で、普段のおやつとして食べてしまわないように、本当に食料が尽きた非常時のためだけに残させる工夫だった。


    ④ なぜ歩兵はC-レーションで、空挺はK-レーションだったのか

    C-レーションは缶詰中心で、K-レーションより重くかさばる。輸送部隊やトラックに頼れる歩兵部隊向きの構成だ。一方、K-レーションは薄い箱に収まり、身体に複数食分を分散して携行できる。降下直後は補給が全く期待できない空挺兵にとって、軽量・コンパクトという特性がそのまま採用理由になった、という理解でよさそうだ。

    【要確認】前線に着いてから(降下後、本隊と合流した後)は、空挺兵もC-レーションを支給されることがあったはずなので、「空挺=常にK」ではなく、あくまで降下直後の携行食としての位置づけで書く。


    ⑤ 考証の罠:現行レプリカの中身は現代食品

    現在流通しているK-レーションの箱のレプリカは、パッケージ外観を再現していても、中身は現代の食品(市販のチョコやビスケット)で代用されているケースがほとんど。撮影用の小道具として割り切るか、当時の中身の再現にこだわるかで、選ぶべき商品が変わってくる。


    参考:現代版MRE

    K-レーションそのものは現在入手できないが、その系譜にあたる現用アメリカ軍の戦闘糧食MRE(Meal, Ready-to-Eat)は今も入手可能。あくまで参考程度に。

    MRE 12食入りケース:

    MRE 単品(コレクション用):


    関連記事


    出典

  • 空挺兵が吸っていたタバコの銘柄 ― ラッキーストライク「緑は戦争に行った」の裏側

    ※本記事にはAmazonアソシエイト・プログラムによるアフィリエイト広告が含まれています。

    ヘルメットの黒ゴムバンドの記事でも触れたタバコについて、今回は銘柄を中心に掘り下げます。誤りがあればご指摘ください。

    WWII米軍のタバコは、個人の嗜好品というより配給の一部だった。K-レーション・C-レーションに同梱される形で、ほぼ全員に行き渡っていた。『プライベート・ライアン』や『バンド・オブ・ブラザース』でも、兵士たちが小休止のたびにタバコをくわえる場面が繰り返し描かれるが、あれは演出誇張ではなく実態に近い。


    ① 配給されていた銘柄

    K-レーションでは1食ごとに4本入りのミニパックが同梱され、1日3食で計12本が支給された。同梱される銘柄は固定ではなく、複数ブランドのサンプルパックのような形で配られていた。

    • K-レーションでよく見られた銘柄:チェスターフィールド、フィリップモリス、キャメル、チェルシー、ラッキーストライク、ローリー、フリートウッド、オールドゴールドなど
    • C-レーション(1食あたり9本):キャメル、チェルシー、チェスターフィールド、クレイヴンA、オールドゴールド、フィリップモリス、プレイヤーズ、ローリー、ウィングスなど

    意外に思われるかもしれないが、「ラッキーストライク」が一番有名なブランドではあるものの、実際の配給頻度でいうとチェスターフィールドが最も多く含まれていたという記述がある。海外の前線に送られたのは主にラッキーストライク・キャメル・チェスターフィールドで、トルコ産ブランドや無名ブランドは本国の民間人向けに回されていた。


    ② ラッキーストライクのパッケージ神話:「グリーンは戦争に行った」

    ここが一番面白いポイントだ。1942年、ラッキーストライクはそれまでの濃い緑色のパッケージを、白色に変更した。当時のキャンペーンスローガンが“Lucky Strike Green Has Gone to War”(ラッキーストライクのグリーンは戦争に行った)――緑の顔料に使われる銅が戦争のために必要になったから、という愛国的な理由付けだった。

    ところが、これは巧妙な広告戦略だったというのが実際のところに近い。当時、女性の喫煙者が増えていたが、緑と赤を使った旧パッケージが服の色と合わない、という理由で敬遠されがちだった。真珠湾攻撃後の空気を利用して、会社側は「愛国的な自己犠牲」という体裁でブランドイメージを一新した、という見方だ。結果としてこのキャンペーンは大成功し、売上が40%も伸びたとされる。

    考証メモ:つまり「戦争のために色を変えた」という話自体が、当時の巧みなマーケティングだった可能性が高い。ただし結果として1942年以降のラッキーストライクは白パッケージが正しいという事実は考証上そのまま使える。


    ③ 考証の罠:緑パッケージと白パッケージ、時代が違う

    1942年より前を再現するなら緑パッケージ、1942年以降(D-Day含む多くの戦域)なら白パッケージが正しい。ヘルメットの黒ゴムバンドにタバコを挟むような小道具としてラッキーストライクを使う場合、このパッケージ色の年代差は忘れずにチェックしたい。


    関連記事


    買い方・調達ガイド

    一緒に使いたいライター(Zippo 1941 Replica):

    マッチも一緒に:


    出典